長らくお待たせいたしましたが、先日ようやく首里三線店ホームページを正式オープンしました。
今のところ国際通り三線店ホームページと大差ありませんが、ゴールデンウィーク明けくらいには首里三線店のホームページへジャンプさせることにしておりますので、今後の更新はこちらのみになります。
また、昨日「国際通り三線店メールマガジン」最終号を発行しました。次のメールマガジンは「三線の風〜首里三線店便り」として発行する予定です。
より使いやすいサイトへの改善はこれからですが、ひとまずホッとしているところです。
(このエントリーは「沖縄三線の首里三線店 店長ブログ」の記事に基づいています。)
18日を臨時休業にして出かけた、一昨日17日の「宮城洋子琉球舞踊研究所久米島チャリティー公演U」は、お陰さまで会場(久米島町具志川農村環境改善センター)一杯のお客さまを迎えて大盛況でした。
当日のプログラムは、第一部が「かぎやで風節、白瀬走川節、辺野喜節」の斉唱から始まりました(賛助出演・久米島町三線愛好会の皆さん)。
久米島町長・平良朝幸氏にご挨拶をいただいたあと、琉舞の演目が「かぎやで風」「女こてぃ節」「かせかけ」「秋の踊り」「諸屯」「いちゅび小」「花風」と続きます。
一部の最後は、「仲村渠節」を寺本さやか、「赤田風節」を大野まり子、「本花風節」を屋比久有紀の女性三名が独唱しました。
屋比久さんも群馬出身のヤマトンチューなので、ヤマトンチューの女性による独唱ということで注目に値する演目だったと思います。三人の独唱はとても立派なもので感心しました。
この三人は第一部の「かせかけ」と第二部の「四つ竹」の地謡も担当しました。
休憩を入れて、第二部は、空手演武から始まりました。宮城秀夫師匠は実は剛柔流の師範でもあり、現在中野区弥生町で「円水館」という空手道場も開いています。
賛助出演の「ムジカビーバ」による混声合唱に続いて、「四つ竹」「ゼイ」「鷲の鳥節」「しょんだう」「高平良万才」、最後に「我ったー島」で全員が登場してフィナーレとなりました。
当日の地謡は、歌・三線が野村流古典音楽保存会の宮城欣也師範、比嘉義勝師範、宮城秀夫師範、牧野晃明教師、寺本さやか教師、大野まり子、屋比久有紀、琴が琉球筝曲保存会の具志堅初美師範、田島直美師範、笛が笹の会の中村昌成師範、太鼓が琉球音楽太鼓つくし会の赤嶺多賀子師範というメンバーでした。
久しぶりの地謡はとても楽しく、また勉強すべきことにもたくさん気がつきました。微力ながら師匠のお手伝いもできてよかったと思います。
私の三線と唄でいろいろな曲を録音・公開していきたいと思い、メインホームページに「三線と唄を聴くコーナー」を作りました。
ポッドキャスティングとかボイスブログというのが注目されて久しいのですが、それを我がサイトでも利用することにしました。
第一回は「安波節」です。
録音は、店のデスクトップPCにカセットレコーダー用のステレオマイクを接続して、「♪超録 - パソコン長時間録音機 フリーウェア版」を使って行ないました。
ネットに接続しているルーターからではないかと思われるプップッというノイズが少し入っています。
一人で操作しているので、三線を構えて、マウスでクリックして唄い始めるという素朴なやり方です。
途中で三線をとちったりして、アップしたのは四回目の録音です。声がかすれるところがあって練習不足を物語っているのが恥ずかしいですね。
緊張しているし、マイクがちゃんと声を拾っているのか心配でちょっとがなっている感じもあり、唄が硬いです。
練習も積み、操作に慣れてくれば、もう少しゆったりと唄えるのではないかと思っています。
次は「安里屋ユンタ」にしようかと思っています。
滝原康盛さんが、この2日に亡くなられました。
滝原さんというと私たちは『正調琉球民謡工工四』の著者としてよく目にしてきました。
三線が少しずつ弾けるようになってくると、いろいろな曲の楽譜=工工四が欲しくなってきます。サークルなどでコピーを配ったりもしますが、自分でも一冊持ちたくなるもの。今でこそ、いろいろな工工四が出ていますが、私が三線を始めた頃には『正調琉球民謡工工四』が一般的でした。しかし、ブームの「島唄」などがこの工工四に掲載されたのは、ずいぶん後になってからで、それまでは耳で自分なりに音を拾って弾いたり、工工四に起こしたりしていました。
それでも、有名な民謡などはやはりこの工工四にずいぶんお世話になりましたし、早く新しいのが出ないかなと待ち遠しかったものです。
10年くらい前になりますが、三線仲間と沖縄の民謡酒場「三原」で飲んでいたら、滝原さんがやってきて、どういういきさつだったかは忘れましたが、同席させていただき、一緒に飲んだこともありました。滝原さんはこの「三原」の常連だったようです。
琉球音楽楽譜研究所出版の『滝原康盛 作詞作曲全集』に載っているものだけでも70曲あまりの作品がある希代の音楽家でした。『正調琉球民謡工工四』一つとっても、その沖縄民謡の世界への貢献は並々なものではないといえるでしょう。
ご冥福をお祈りします。
この17日に久米島で我が師匠・宮城秀夫先生の奥様・洋子先生の琉舞研究所のチャリティ公演があります。
私ごときがのこのこ出て行くのはどうかとも思うのですが、師匠への恩返しという気持ちもあり、久々に踊りの地謡としてお力添えすることになりました。
沖縄に引越ししてからしばらくはなかなか稽古に行けなかったのですが、この一年余り比嘉義勝先生の研究所にお世話になっています。
今度の公演に向けて、いつもは週一で稽古していたのを、週二回にして感覚を取り戻そうとしています。
たしかに、週二回の稽古は効きます。副店長が言うには、筋肉は三日で忘れるから、三日空けずに練習するといいそうです。
不思議なことですが、前の稽古で歌えなかったフレーズが、次の稽古ではなんとかこなせるようになっていたりします。
久米島公演では恥をかかないように、できるだけのことをしておこうと思っています。
4月27日に当店で三線体験をされていった新潟市立大江山中学校の生徒さんから、丁寧なお礼の手紙と感想文が送られてきました。
難しかった方も、意外と簡単だった方もおられるようですが、それぞれよい体験をしていただけたようで、とてもよかったと思います。
今度また沖縄に来られることがあったら、ぜひ店に立ち寄っていただけるとうれしいですね。
琉球古典音楽太鼓の光史流家元で、組踊の人間国宝、島袋光史さんがこの10日に亡くなられました。
その功績は以下の記事をご覧ください。
島袋光史氏が死去/組踊で人間国宝(『沖縄タイムス』2006年1月11日(水) 朝刊 1・26面)
私は面識を持つ機会がありませんでしたが、市場のあたりを飄々と歩かれている姿を何度も拝見しました。
自己流で太鼓を叩くのですが、いつか光史流に入門したいと思っていました。光史流太鼓は、ほかの流派とは一線を画し、たくさん数を打って目立つという太鼓ではなく、肝心な要所にぴたりと決まる、聞いていてとても格好のいい太鼓で、いつも光史流太鼓の奏者からは目が離せません。
沖縄の古典芸能に造詣が深く、ご意見番として目を光らせていた島袋さんの死は、たいへん大きな損失だと思われます。